今日の原付スクーター 一人旅は…
2024年11月6日に愛知県小牧市にある、小牧山城へ取材のスクーター 一人旅に行ってきました!
この記事では、小牧山城の隅々まで見どころがわかる記事になっています!
ぜひ、この記事を読んであなたも織田信長や徳川家康のゆかりある小牧山城を訪れてみてくださいね!
この記事の筆者
紘美(ひろみ)@原付で旅する写真家
2022年5月より各地を旅するスクーター・ライダー|
自然派観光地の風景を求めて今日も旅をする|
原付スクーターはキャンピング仕様へカスタマイズ|
2年間で巡った観光名所は100ヶ所以上|
日帰りバイク旅は40日、テント泊のバイク旅は30日以上(2024年4月現在)|
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(更新:2024年7月)
小牧城とは
小牧城について
小牧城は、正式名称「小牧山城」と呼ばれ、1563(永禄6)年に織田信長によって築城されました。
標高85.9mの小牧山の頂上に建てられ、お城の高さは19.3mもあります。
お城は3層構造の4階建てで、4階天守閣の展望台からは標高100mからのキャッスルビューが望めます。
織田信長さんが築城したんだワンね!
信長さんは、長くいたんだかワン?
それが、信長が居城していたのはわずか4年。
1567(永禄10)年になると、岐阜の斉藤龍興を破ったあとはその居城「稲葉山城(岐阜城)」へ入城します。
それと同時に、小牧山城は廃城という歴史をたどります。
そんな小牧山城の歴史をもっと深く次の記事では解説していきますね
ぼんちゃん、楽しみだワン!
小牧城の歴史
1563年 築城(永禄6年)
織田信長によって築城される
小牧城は、尾張国(愛知県北西部)を支配していた織田信長にによって、1563年(永禄6年)に築城されました。
小牧山にあるお城ということから、小牧山城と名付けられました。
信長は、清洲城に住んでいましたが、美濃地方を治めるための拠点として小牧山城へ移り住みました。
信長は、上洛を目指していたワン。
上洛をする上で、美濃地方を治めることは避けては通れない道だったんだワンね。
当時初の石垣を備えたお城に…
小牧城を築城では、何段にもわたる石垣が作られました。
今までの城造りというと、土塁が一般的でした。
ですが、小牧城では当初初となる石垣を作ることによって、「石の城」の発祥のお城となります。
石垣は、まだ垂直に作る技術はなく、少し傾斜がかかっている作りになっています。
石垣の高さは1〜3mほどで、3段にもわたる段組により作られています。
これは、お城の下から見た時に上段から下段の石垣がつながり、高くそびえているように見える工夫がされていました。
高い石垣があると、お城が強固な守りで固められているように見えるワン!
視覚的にも攻め込まれないように圧力をかけていたんだワンね!
最先端の街づくり
また、信長は小牧城の南に城下町を整備しました。
城下町は、東西に5本、南北4本の直線的な主要街路によって長方形に区画されていました。
それぞれの区画には、油屋町(油を売る商業者の町)や鍛冶屋町(刀剣を作る商業者の街)、紺屋町(染め物を作る商業者の街)など、職種によって住む場所も決められていました。
城下町の規模は、南北に1.3km、東西に1kmでした。
この町づくりは、のちの江戸時代に一般化する城下町の原型とされ、当時としては最先端の先進的な町づくりでした。
江戸時代に続く城下町の作り方が実は信長発祥だったなんてすごいワン!
信長は新しいもの好きで知られているけど、石のお城や町づくりでも最先端を追い求める人だったんだワンね!
当時の建物は、地面に穴を掘り、礎石を用いずに柱を穴に立てた掘立柱建物が中心でした。
屋根は板葺きで、屋根の上に石を置き、風で屋根が飛ばされないようにしていました。
建物は街路から30〜35mの範囲に立てられ、その奥地は畑や庭でした。
この頃から、下水設備が整備され、建物と建物の背に南北方向に流れる排水溝がありました。
街に本格的に下水設備が整備されたのは、安土桃山時代でしたが、すでにこの頃から信長の手により下水設備が作られていたのでした。
1567年 廃城(永禄4年)
稲葉山城の戦いで廃城に
信長は、稲葉山城の3代目当主 斉藤龍興に勝利すると、稲葉山城を岐阜城と改名し、居城を移しました。
それと同時に、小牧城は廃城。
城下町に住んでいた家臣や商工業者も小牧の地から岐阜へと移り住みました。
しかし、西部では、一部の住民が残り、小規模な町場が存続していました。
なぜ、斎藤家と戦に?
斎藤氏と言えば、信長の義父の斎藤道三がいたんじゃなかったかワン?
実は、斎藤道三は息子 斎藤義龍が殺してしまったんだ。
諸説はいろいろあるけれど、道三が家督を義龍に任せた後、義龍は道三の意向に反対して裏切ってしまうんだ。
信長を信頼していた道三は、長良川の戦いで義龍対峙するも、敗死。
信長が援軍で駆けつけるも間に合わなかったんだ。
そこから、斎藤家と織田家の関係に亀裂が入り、後に戦になったんだ。
そうだったんだワンね。
その父親殺しの義龍の子が龍興で、稲葉山城の戦いで信長に負けたという事なんだワンね。
なんて孫だワン!
1584年 小牧・長久手の戦い(天保12年)
本能寺の変がきっかけ
小牧山城で有名な「小牧・長久手の戦い」のきっかけは、1584年(天正10年)の本能寺の変です。
本能寺の変で明智光秀によって、織田信長とその長男 織田信忠が打たれました。
明智光秀はその後すぐに打たれましたが、その後に大きな問題として残ったのが信長の跡目を誰が継ぐかという問題でした。
信長が打たれちゃったのかワン!?
それは一大事だワン!
信長の全国統一を継ぐ人を誰にするかという問題は、重大だワン!
同年すぐ清洲会議が行われると、信長の息子たちで争いが起こります。
翌年の1584年(天正10年)に、賤ヶ岳の戦いで柴田勝家と信長の三男 織田信孝が敗れ自害しました。
これは一大事だワン!
その後、信長の長男の子 三法師を推す羽柴秀吉と信長の次男 織田信雄との対立が表面化しました。
次第に秀吉と信雄は不和になり、1584年(天正12年)に信雄が徳川家康と手を組み宣戦布告をします。
そして、起こったこの戦いを「小牧・長久手の戦い」と言います。
小牧・長久手の戦いへ発展
信雄に宣戦布告された秀吉は、小牧周辺でまで進軍を進め、小牧・長久手の戦いが始まります。
小牧山城では、家康が榊原康政へ命じて、新たに堀や土塁・虎口の築地を行わせ、わずか5日で今の小牧城の姿へとさせました。
この戦いでは、信雄と家康の主陣地が小牧山城に置かれ、両軍は対峙していました。
秀吉は、まず初めに家康の拠点である岡崎を攻略するために、犬山城から別動隊を派兵します。
わわわわ!
徳川家康の本拠地が危ないワン!
この別働隊に気づいた家康は、すぐに小牧山城から迎撃に向かい長久手の地で打ち倒し、小牧・長久手の戦いは終わりを迎えます。
この小牧・長久手の戦いが終わるまでの8ヶ月間、信雄・徳川連合軍は小牧山城に陣を敷きました。
この小牧・長久手の戦いの後もいくつかの戦いが続きました。
この秀吉と信雄・徳川連合軍の戦いは、同年秋に信雄の単独和睦が行われ、事実上信雄・徳川連合軍の敗北として戦いが終わりました。
戦いが終わると、小牧山城は廃城となりました。
家康に相談なしに信雄さんが不利な条件で和睦をしてしまったんだワンね。
秀吉さんは強かったんだワンね。
江戸時代、徳川ゆかりの地になる
小牧・長久手の戦い以降は、廃城になりますが、江戸時代には小牧城や小牧山は尾張徳川家の所領となります。
神君家康公ゆかりの地「御勝利御開運之御陣跡」として大切に管理され、この頃は一般公開も禁止されます。
秀吉の安土・桃山時代の期間は小牧山城は廃城、徳川家康が征夷大将軍になってからは、大切に管理されていたんだワンね。
1869年 国有地化後、尾張徳川家へ(明治2年)
1869年(明治2年)には、小牧山は版籍奉還により国有地になります。
それと同時に、一般市民に向けて一般公開されるようになりますが、その20年後再び尾張徳川家の所有となり一般公開が禁止されました。
1867年(慶応3年)に江戸幕府の15代将軍 徳川慶喜が朝廷に政権を返上してから国有地になったワンね。
これによって、市民にとっては小牧山城は身近な存在になったけど、その期間は短かったんだワン!
1927年 史跡になり、寄付される(昭和2年)
1927年(昭和2年)には、小牧山が国の史跡となり、一般公開が再開されます。
その後、1930年(昭和5年)に、尾張徳川家から小牧町へ小牧山が寄付されました。
小牧町に寄付されてから、歴史館などが建てられ今の小牧山城になるんだワン!
お城の景色と展望
小牧山城(小牧山歴史館)
お城は山頂にある
小牧山城は、小牧山の頂上にあります。
小牧山の登山時間は、約20分ほどかかります。
私が訪れた時は、登山時間が一番短いルート「大手道」が工事中でした。
そのため、大手道途中から小牧山をぐるっと一周する舗装道路を歩いて登山しました。
工事が終わっていれば、10分ぐらいで登山できるようになると思うワン!
山頂までの道を撮影してきたので、以下に掲載しておきます。
山頂まではしっかりとした舗装道路で繋がっていました。
綺麗に舗装された道路だワン!
森の中を歩いているみたいで気持ちいいワン!
小牧山城がある山頂からの眺めもとても気持ちよかったですよ。
小牧の城下町を一望できます。
夜は夜景が綺麗なんだろうなと思う眺めでした!
入場料は大人200円 子供 無料
小牧山城は1階は無料で入場できますが、2階以上からは入場券の購入が必要です。
入場券は、大人200円、子供(※1)無料です。(※1…18歳以下)
小牧山城と小牧山のふもとにある「れきしるこまき」の入場券は共通券です。
どちらか片方で購入したら、1枚で両方の施設へ入場できます。
共有券だなんてお得だワンね。
「れきしるこまき」はあとでの楽しみにしておくワン。
障害者割引がある
障害者の方で以下の条件を満たす方は、付き添いの方の入場料が無料になります。
受付に障害者手帳を提示してくださいね
お城は歴史館になっている
小牧山城の中は、歴史館になっています。
1階は、小牧山と城下町の姿・小牧の歴史が紹介されています。
また、フォトブースもあるので、ここで記念写真を撮影することができます。
これでぼんちゃんも気分は織田信長だワン!
2階は常時展示室となっていて、有料階になります。
展示内容は、「戦国時代の尾張国」や「地形から見る戦略・戦術」、「小牧・長久手の合戦への道」が解説されています。
この階では、プロジェクターによるスクリーンシアターでも解説されていて、動画で楽しむことができます。
2階は主に小牧城や織田信長の歩み、小牧・長久手の戦いの解説だったわん。
3階の常時展示室では、「武将たちの人生選択」「戦国時代の戦道具」などがお子様も楽しめるクイズ方式で展示されています。
ぜひ、小牧の歴史や武将についての知識をクイズで確かめてみてくださいね。
当時の武将さんたちにも、人生の道というものがあったんだわんね〜。
ぼんちゃんは、子供の時から近所を旅して、紘美さんのペットに就任するのが犬道だったワン!
4階は、展望室となっていて、小牧山城の天守閣から360°のパノラマ絶景を楽しむことができます。
この展望室については、のちの章で詳しくご紹介しますね。
展望室の解説、ぼんちゃん楽しみ!
記念品がある
御城印
小牧山城1階受付では、「小牧山城の御城印」を購入することができます。
御城印の背景の家紋は、織田信長の家紋「十六葉菊」と徳川家康の家紋「三つ葉葵紋」の2つがあります。
中でも、織田信長の「十六葉菊」家紋は、織田信長が天皇から拝領した名誉ある紋としても有名です。
料金は、ともに300円なので、お城を訪れた方はぜひ記念に一枚コレクションしてみてはいかがでしょうか。
御城印の保管は、以下の御城印帳がおすすめワンよ!
記念メダル
小牧山城1階には、記念メダルの自動販売機もあります。
徳川家の家紋メダルは600円、織田家の旗印のメダルは700円になっています。
ペンダントやキーホルダーにするためのアクセサリー枠は、ともに300円です。
また、メダルには日付と名前を刻印することができて、以下の写真の機会で30円/枚で刻印することができます。
記念メダルの保管は、以下の記念メダルコレクション額がおすすめワンよ!
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続100名城スタンプ
小牧山城1階には、続100名城スタンプがあります。
続100名城とは、公益財団法人 日本城郭協会が次の3つの基準をもとに選定した100のお城のことです。
その条件とは、「①優れた文化財・史跡であること、②著名な歴史の舞台であること、③時代・地域の代表であること」
なので、続100名城は、その前の100名城に次ぐ素晴らしいお城ということです!
お城好きにはぜひ、100名城に続き、続100名城スタンプもコレクションして欲しいです!
100名城・続100名城スタンプ帳は、公式版が販売されています。
各お城のスタンプ帳だけでなく、そのお城の詳細や解説・お城の基本的な構造まで勉強できるスタンプ帳になっています。
ぜひ、あなたもこのスタンプ帳を手に入れて、全国の計200のお城を巡ってみてくださいね。
ぼんちゃん買ったワン!
これで将来全国のお城のスタンプを攻略するんだワン!
記念スタンプ
小牧山城1階には、小牧山城記念スタンプもあります。
小牧山城の登城した記念に、ぜひスタンプ帳などにコレクションしてみてくださいね。
私は、スタンプ帳はなかったので、先ほど紹介した「続100名城スタンプ帳」の空いたスペースにコレクションしました。
この記念スタンプのコレクション帳は、調べても見つからなかったワン。
以下のようなおしゃれな本にコレクションとかいいかもしれないワンね🐶
天守閣(展望室)からの眺めは最高
地上100mからの眺め
小牧山城4階は、標高100mから360°見渡せる展望室になっています。
展望室からは、名古屋のビル群や清洲城、名古屋城、犬山城のお城も望むことができます。
展望室を囲むようにある回廊には、2個の双眼鏡があり、100円で超望遠鏡の眺めを見ることができます。
最高の眺めだワン!
今日はぼんちゃんは、織田信長にちなんで織田ぼんまると名乗るワン!
名古屋空港(小牧空港)も望める
また、知られざるスポットとしては、名古屋空港(小牧空港)を眺めることができる穴場スポットでもあります。
小牧山城から名古屋空港の眺めを撮影してきたので、上に掲載しておきます。
撮影には、スマホのカメラではズーム機能が足りないから注意だワン!
綺麗に空港と飛行機を取るなら、一眼の超望遠レンズ以上が必要だワン!
車椅子は小牧山城には入ることはできない。
小牧山城へは車椅子で入ることはできません。
小牧山城の入り口が急な段差になっているためです。
山頂の小牧山城を囲む広場までは、車椅子で来ることもできますが厳しい坂道です。
山頂まで道が舗装されているとはいえ、一人で行くのは困難なので、車椅子を押してくれる付き添いの方が必要です。
小牧山城の入り口の階段、そして2階以上に上がる階段はかなり急だワン。
これは車椅子は無理なのと、足腰が弱い高齢の方もちょっと不安だワン。
高齢の方は気をつけて階段上がっていくんだワンよ。
小牧山城のトイレ
小牧山城内のトイレは、洋式トイレはありますが、多目的トイレはありません。
赤ちゃん用のオムツ台もないため、もし赤ちゃんのオムツを替えるのであれば1度下山する必要があります。
赤ちゃんのオムツ代があるトイレは2ヶ所あります。
1つは小牧山東側にある史跡公園の休憩所の多目的トイレです。
もう1つは、小牧山東南に位置する施設「れきしるこまき」施設内の多目的トイレです。
どちらもオムツ台があるだけでなく、車椅子の方も利用できる広いトイレになっています。
入り口は急な階段しかない施設だけあって、車椅子用のトイレではないワン。
車椅子でも使えるトイレを探すなら、小牧山南側のふもとの「れきするこまき」のトイレに行くんだワン。
小牧山の史跡
小牧城の石垣
小牧山城の石垣は、2〜3段と連なり主郭を覆っています。
1段目の石垣は、高さ3.5mほどで、比較的大きな石が使われています。
2段目の石垣は、高さ1.3mほどで、今のところ見つかっているものの多くは崩れたものが多く、破城されたか名古屋城の石垣の石材として使われたのではないかと言われています。
3段目の石垣は、高さ2.6mだと推定されいます。
現在では、まだ石垣は復元されておらず、整備をしている最中です。
小牧山頂上付近の石垣は、だいぶ整備が進み綺麗な状態で見ることができます。
石垣の再現は、ここ2・3年でだいぶ進んできたワン。
この記事を読んでいる読者の方が訪れる時は、さらに復元されていると思うワン!
楽しみにしていてほしいワン!
2重の土塁
小牧山城の土塁は、天正12年(1584年)の小牧・長久手の戦いの時に、織田信雄・徳川家康連合軍によって作られました。
土塁は、小牧山城のふもとを囲むように作られていましたが、現在小牧山南側が復元されています。
土塁は2重になっていて、土塁と土塁の間は深さ最大8mにもなる堀になっていました。
こんな大きくて高い土塁を5日で作ってしまったっていうんだから驚きだワン!
すごい国力があったんだね!
上に掲載した動画は、小牧山のふもとに実際にある二重の土塁の映像です。
とても高い土塁が2段になっているのをみてわかると思います。
土塁と土塁の間の堀は今はほとんどなく、小さな排水溝があるのみになっています。
ぜひ、現地に訪れて実際に見てみてくださいね。
れきしるこまき(小牧山城史跡情報館)
小牧山城の南側のふもとには、「れきしるこまき」という史跡情報館があります。
ここでは主に、最近進められている小牧山城の発掘調査のことを詳しく紹介されています。
特に、無料展示室と有料展示室の二つがあり、両方ともとても内容が濃い情報でした!
早速見ていきましょう!
ワクワクだワン!
無料展示室
織田信長の時の小牧城がわかる
無料展示室では、主に模型と掲示物が展示されていました!
上記写真は、織田信長の時の小牧山城の城下町区画です。
この時から、織田信長は城下町として後世に受け継がれる基礎を築き上げていました。
織田信長が敷いた城下町の模型です。
模型は、動かせる家の模型があり、実際に指定された場所に家を配置して街並みを楽しむことができます。
以下の写真のように、街並みについての説明もありました。
信長さんは、30歳という若さで時代の先をいく城下町を作ったんだワンね。
すごいワン!
また、小牧山城の一連の歴史の流れも見ることができます。
人あるところに歴史あり、
城あるところに歴史あり!
ちょっとカッコよく言ってみたワン🐶
小牧・長久手の戦いの時の小牧城がわかる
れきしるこまきの無料展示室では、小牧・長久手の戦いについては、上の掲示パネルにてわかりやすくまとめられていました。
ですが、より詳しく見るには、プロジェクトマッピングが設置されている有料展示室で見ることができます。
無料展示室では、小牧・長久手の戦いにはあまり触れられていないんだワンね。
近年の発掘調査で知る
発掘調査展示室では、最近の発掘調査の発見が掲示されています。
発掘によって発見された当時の食器や器、城郭の痕跡などなど、
とてもロマンをくすぐられる面白い展示室になっていました!
この発掘をしている人たちって、考古学者の人かワン?
映画でしか見ることができない考古学者さんのお仕事現場を見れるなんて、面白いワン!
また、上の模型では、
現在でわかっている石垣の配置も調査が進むにつれて更新されて行っています。
将来、この模型が完成するのが楽しみですね。
有料展示室
プロジェクトマッピングで歴史がわかる
有料展示室では、主にプロジェクトマッピングと模型によって
とても華やかな演出の映像を楽しむことができます。
有料展示室は撮影は禁止だったので、撮影はしませんでした。
プロジェクトマッピングでは、映画のような映像で「小牧・長久手の戦いやその背景」「小牧の歴史」と「石垣の技術」などなどが視聴することができます。
プロジェクトマッピングは、映像をただ流すだけでなく、映像に触ったりするとその触った場所に応じて演出の映像・解説映像が流れるようになっていたんだワン!
子供も楽しめる面白い展示室になっていたワン!
入場料は200円
有料展示室への入場料は200円ですが、
この入場券は小牧山山頂にある小牧山城との共通権になっています。
なので、この入場券があるだけで「れきしるこまき 有料展示室」と「小牧山城の2階〜4階展望室」の2カ所へ入場することができます。
とってもお得なのでぜひ買って3D映画のようなプロジェクトマッピングとお城からの眺めを堪能してみてくださいね。
記念品
御城印
れきするこまきでも、御城印を手に入れることができます。
小牧山城と同じで、「徳川の御城印」と「織田の御城印」がどちらも300円で手に入れれます。
購入場所は、正面入り口のすぐ左側にある受付にて券売機清算の受付手渡しで受け取れます。
ぜひお見逃しなく!
御城印の保管は、以下の御城印帳がおすすめワンよ!
続100名城スタンプ
れきするこまきでも、続日本100名城スタンプを押し印することができます。
小牧山城と同じで、続日本100名城スタンプ帳へペタン!と無料で押すことができます。
スタンプの場所は、「れきしるこまき」の正面玄関はいってすぐ右側にあります。
車椅子や山頂まで行けないという方は、ぜひ「れきするこまき」で手に入れてみてくださいね。
お見逃しなく!
れきしるこまきのトイレ
れきしるこまきの多目的トイレは、車椅子の方も赤ちゃん連れの方も利用できるとても広々としたバリアフリーのトイレになっています。
赤ちゃんのオムツ台や赤ちゃん座椅子、オムツが洗える洗面台があります。
車椅子の方では、移乗ができる手すりもあります。
また、施設自体も段差が一つもないバリアフリーになっているので、車椅子の方も安心ですね。
とっても広いトイレなので、付き添うが必要な車椅子の方でも安心して利用できるワン!
ペット同伴は可能?
屋外は同伴可能、施設内は同伴不可
小牧山城のペットの連れ込みは、屋外公園エリアは連れ込みが可能です。
ですが、施設内への連れ込みは不可なので気をつけてください。
また、屋外でもペットの糞などは必ず袋に入れて持ち帰り、家で処理しましょう。
ぼんちゃんは、施設の外で日向ぼっこしていたワン。
おかげで犬友ができたワン!
行ってみた感想
今日行ってみた感想はどうだワン?
もう、お城好き・歴史好きの方には大満足の場所だったよ!
特に、小牧山城の展望室からは、清洲城・名古屋城・犬山城・岐阜城と4つのお城を望むことができる。
織田信長はこの景色から天下布武を夢見て、徳川家康はこの景色から激変の時代を見ていたんだなと感じさせられました。
大満足のようだね!
施設内のプロジェクトマッピングもとても演出華やかで楽しめるから、ぜひ入場券を買って楽しんでみてくださいね!
今回訪れた場所の施設情報
小牧山城(小牧山城歴史館)
営業時間
入場料・予算
れきしるこまき(小牧城史跡情報館)
営業時間
入場料・予算
小牧山へのアクセス
交通機関
乗用車
バイク
・小牧市役所 東駐輪場
周辺情報
ランチ
休日は飲食店は混み合います。
ネット予約ができるお店をまとめましたので、ネット予約をして待ち時間0で旅を楽しんでくださいね。
とりあえず吾平 小牧店
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観光地
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