今日の原付スクーター 一人旅は…
10月10日に、新美南吉記念館へ原付一人旅をしてきました!
今回の記事では、
「童話が好き」「作家を目指している」「南吉さんのファン」という方たちのお役に立てる記事になっています。
新美南吉記念館は、
その名の通り愛知県半田市岩滑の童話作家「新美南吉さん」について、その生涯を知ることができる文学館です。
そして、愛知県半田市では有名な観光スポット「矢勝川堤の彼岸花」が生まれる起源を作った方でもあります。
ぜひ、この記事を読んで新美南吉さんと観光地「矢勝川堤の彼岸花」を見に行ってくださいね!
それでは、見ていきましょう!
前回の記事は…
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[レビュー]名古屋空港の撮影スポット巡り - フォドレな旅
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この記事の筆者
紘美(ひろみ)@原付で旅する写真家
2022年5月より各地を旅するスクーター・ライダー|
自然派観光地の風景を求めて今日も旅をする|
原付スクーターはキャンピング仕様へカスタマイズ|
2年間で巡った観光名所は100ヶ所以上|
日帰りバイク旅は40日、テント泊のバイク旅は30日以上(2024年4月現在)|
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(更新:2024年7月)
新美南吉記念館
新美南吉記念館とは
新美南吉記念館は、作家「新美南吉」さんの生涯や作品が展示・解説されている文学館です。
新美南吉さんとは、どんな人かワン?
新美南吉さんは、小学校4年生の国語の教科書に掲載されている童話「ごんぎつね」の作者です。
新美南吉さんの代表作といえば、「ごんぎつね」。
童話「ごんぎつね」は、全国の教科書に掲載され、日本では知らない人はいない童話となりました。
ぼんちゃんも知ってる!
犬の小学校で読んだワン!
悲しい物語だったワン!
この記念館では、童話「ごんぎつね」をはじめ、数々の新美さんの作品を読むことができます。
また、ごんぎつねに関してはシーンを再現したジオラマがあり世界観を楽しめる場所になっています。
童話「ごんぎつね」について忘れてしまった人は、ごんぎつねを掲載しているサイトを以下に紹介します。
ぜひ、一度読んでみて思い出してみてくださいね。
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童話「ごんぎつね」全文
www.yanabe-e.ed.jp
記念館を訪れた方は、館内にビデオシアターがあるので、そこでもごんぎつねのアニメをめることができます。
ビデオシアターは、15分・20分・16分の合計51分の物語になっています。
小学校高学年以上から楽しめるものになっているので、大人の方でも物語を思い出す場所として見てみてくださいね。
館内は南吉さんの生涯がわかる
館内の展示物は、新美南吉さんの生涯を知ることができます。
当時の直筆の原稿用紙や日記などをみれるほか、
年代ごとの新美南吉さんの生涯や出来事を知ることができます。
新美南吉さんは、若くして有名な作家の方の元へ弟子入りしたりとても熱心に作家活動に取り組んでいたのを知れたワン!
また、恋愛では死別など大きな経験もしました。
当時の平均寿命は45歳なので、20歳となれば今の50歳に相当する年頃。
若くしてとてもしっかりされていた新美南吉さんを知ることができます。
ぼんちゃん思うに、
新美南吉さんは国語の教師の人にとっては憧れの人に上がるんじゃないかと思ったワン。
そうだね。
国語の教師として、そして作家を志す人にとってはすごく刺激を受ける生涯だなと感じました。
ぜひ、国語の教師の方や作家を志す人、もしくは童話の世界観が好きな人は訪れたい文学館だね。
上の写真は、南吉さんが20歳の時に住み込みさせてもらっていた部屋の再現です。
南吉さんは、たくさんの方に部屋を貸してもらって住み込みさせていただいていました。
住み込みさせていただいた場所は、4ヶ所です。
多くの方に支えられていたんだなと感じる中で、本当に作家の駆け出し期という感じの生活でした。
私も20歳の大学生の時代は、6畳間の部屋に住んで生活していたので、みな学生期や新社会人の時は同じスタートなのだなと感じました。
作家や音楽アーティストアニメでも出てきそうな典型的な部屋だワン!
また、当時(昭和8年)の初任給は、今でいう給与18万円相当なので質素な生活からのスタートなんだね。
時代は変われど、社会人なり始めの初任給はあまり変わらずにきていることが伺えます。
ぼんちゃんは、美味しいご飯があればいいワン!
新美南吉の時代を感じる
南吉さんが生まれた当時
新美南吉さんが生まれたのは、1913年(大正2年)の7月30日。
翌年1914年には世界第一次大戦が始まる年です。
とても古い時代だワン。
この時は日本は、どんな時代だったんだワン?
当時の日本は、まだ普通選挙もない時代。
当時の政治は、江戸時代の流れとしてある藩(今でいう市のようなもの)があり、その中でも薩摩藩、長州藩、土佐藩、肥前藩の出身者が中心となって政府の要職を独占して行う藩閥政治(はんばつせいじ)でした。
そのため、当時は市民に政治的な選択権がないため、政治を市民のためのものにするために「大正デモクラシー」が起こりました。
大正デモクラシーでは何が実現したのかワン?
大正デモクラシーでは、以下のことが実現されたよ。
・市民的自由(言論、出版、集会の自由)の拡大
・25歳以上の成人男性に普通選挙が実現
・女性解放運動や労働者団体、日本農民組合の全国展開
この時期から日本に民主主義・自由主義が芽生えていったんだワンね。
南吉さんが16歳の日本
南吉さんが16歳の時は、日本は昭和4年(1929年)でした。
当時は、世界恐慌が起こっていて、日本は欧米製品の輸入による激しい競争にさらされていました。
街では失業者が続出。
お米の輸入も頻繁になり米の価格が暴落して農村も苦しい生活をしていました。
そして対する日本の輸出は著しく減少して、庶民の生活は苦しい時代でした。
当時の新美南吉さんさんはどうしていたんだワン?
南吉さんは、大正デモクラシーにより生まれた市民文学の流れに影響されて、
数々の童話・童謡を創作していました。
当時は、同人誌と呼ばれる作家の文芸雑誌・寄稿集が盛んに発酵されていました。
南吉さんもその同人誌の発行・寄稿をしていた作家の一人で、作家デビューもこの頃になります。
16歳の頃から作家デビューしていたのか!
すごいワン!
そして、18歳で中学校を卒業して童話「ごんぎつね」を執筆。
「ごんぎつね」は雑誌「赤い鳥」に収録されました。
この頃は、作家が本業ではなく、小学校の代用教員が本職でした。
そのあと、民間会社や教員などの転職を繰り返しながら、作家活動をしていきます。
当時は昭和恐慌と言われる時代。
日本経済的にもとても苦しい時代だったんだワン。
そうだよ。
当時は、学校に弁当を持っていけない「欠食児童」や幼い娘を売り渡してしまう「人身売買」も社会問題になっていました。
29歳という若さで亡くなる
新美南吉さんは、29歳と言う若さで亡くなりました。
死因は、喉頭結核症によるものでした。
当時の日本では、結核は死亡原因の第1位となっていて、たいへん恐れられていた病気でした。
当時は結核の治療法が確立されておらず、
かかってしまったら最後と言われていたワン。
その背景もあって「亡国病」などと言われ恐れられていたんだワン。
とはいえ、南吉さんは亡くなるまでに創作した作品数は1500作品。
作家として童話、小説、童謡、詩、戯曲、俳句、短歌など多岐にわたり活動を広げ、多くの作品を残しました。
わずか13年間の作家活動でしたが、最後まで作家として命を燃やして生涯を閉じました。
夢を最後まで貫いたのは、とっても素敵だワン!
南吉さん死後の流れ
南吉さんの死後は、代用教員時代の教え子や同僚先生方によって文学碑が建てられたり、
小学校の教科書に掲載、文集雑誌に掲載されて高く評価されたりしました。
教科書にごんぎつねが掲載されたのは、南吉さん死後の13年後の話でした。
生前、とても素敵な人脈に恵まれ、評価されていたんだワンね!
その後、養子先の家や生家が復元公開され、この新美南吉記念館ができました。
そして、ついには全国の小学校教科書に童話「ごんぎつね」が掲載されるようになりました。
復元された生家の家が記念館から徒歩20分ほどの場所にあるので行ってきました。
ぜひこちらもご覧ください。
ごんぎつねのお土産カフェショップ
販売されているお土産は…
新美南吉記念館の中には、新美南吉さんにちなんだグッズや絵本を販売するカフェショップがあります。
また、半田市名物や特産品もあるので、お土産を買う場所としてもいい場所です。
ぼんちゃんは「黄ごん芋」を食べたいワン!
ショップでは、上記掲載の写真のようにランプからお皿、コースターやスタンプ、栞などなど色々なものが販売されています。
もちろん、南吉さんの絵本もあり、どれも南吉さんにゆかりがある物たちです。
ぼんちゃんキャンプに行った時にランプ灯したいワン!
またショップの一部のショップは、ごんの贈り物の公式ネットショップでネット販売されています。
こちらで欲しいものがあったら購入することができますよ。
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ごんの贈り物
半田市にある新美南吉記念館に併設されたcafe&shopです。
ネットショップを見る
私が訪れた時は、イベント中だったためかカフェはテイクアウトのみになっていました。
また違う時期にきたら、カフェとして運営しているかもしれません。
販売されているドリンクは…
カフェで販売されているドリンクは、なかなか見ない珍しいメニューが並んでいました。
いちじくシェイクや甘酒シェイク、和紅茶などなかなか見かけませんよね!
買いそびれてしまったのが今では悔いです…
次行った時は、ぜひ味わってみたいです!
記念館周辺にはごんぎつねのモデルがある
ごんぎつねのモチーフになった狐
南吉さんの童話は、南吉さんの生活上から出たアイディアが多いためか、モチーフになった実在しているものが多くあります。
その中でも、物語の主人公であったきつねの「ごん」のモチーフは六蔵狐だと言われています。
新美南吉記念館より南南東へ徒歩8分のところに、その狐のお墓(狐塚)があります。
このキツネさんはどんなキツネさんだったかワン?
この六蔵狐は、ある農家の方から弁当を分けてもらったら、お礼に農家の方が忘れていったタバコを持ってきてくれたと伝えられています。
地域の方に愛されていた狐のため、亡くなった後は六蔵稲荷という祠が建てられました。
祠は朽ちてしまいましたが、こうして狐塚として今もなお語り継がれています。
昭和のはじめ、芋畑という地名で呼ばれていたこの辺りに六蔵狐という狐が死んでいました。畑に忘れられた煙草入れをを持ち主の家まで届けたと言う話が残るなど村人から親しまれた狐で、当時中学生だった新美南吉も六蔵狐を題材に童話を作っています。人々はその死を悼み、狐が死んでいた、ここから北へ六十メートルほどの場所へ祠を建て、六蔵稲荷として祀りました。いつしか祠は朽ちてなくなりましたが、そのあとは狐塚と呼ばれるようになりました。
狐塚石碑より
兵十がはりきり網で漁をしていた場所
童話「ごんぎつね」で登場する兵十とはりきり網を仕掛けていた川も実在しています。
その川は、新美南吉記念館の北に徒歩2分の場所にある「矢勝川」です。
矢勝川は、秋に堤防沿いに300万本もの彼岸花が咲き誇る場所として「矢勝川堤の彼岸花」としてとても有名な場所です。
ぼんちゃん彼岸花見にいったことある!
とても綺麗な場所だったワン!
元々は、彼岸花がこれほど咲いている場所ではなかったのですが、小栗大造さんという方が彼岸花でいっぱいにしようと活動を開始。
その活動は始め一人でやっていたのですが、次第に町の方たちも参加するようになり今のような有名観光地になりました。
ごんぎつねの物語では、「墓地には、ひがん花が、赤い布のように咲き続いていました」と登場していたワン!
この「矢勝川堤の彼岸花」の観光地解説は、以下の記事にてまとめてあるので、ぜひ見てみてくださいね。
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記事を見る
兵十が麦をといていた場所
ごんぎつねで兵十が麦をといていたシーンがあります。
その麦をといていた赤い井戸も実際に実在します。
その赤い井戸は、新美南吉記念館から東に徒歩14分の場所にあります。
その井戸も写真を撮ってきました。
ここで兵十さんが麦をといていたんだワンね。
この井戸は、「兵十さんがお母さんを亡くし、ひとりぼっちになってしまった、その兵十さんを狐の「ごん」が見かけるシーン」で登場します。
このシーンからごんぎつねの主題となる物語が始まります。
中山のお殿様が住んでいた場所
ごんぎつねの物語で、「わたしたちの村のちかくの、中山というところに小さなお城(しろ)があって、中山さまというおとのさまがおられたそうです。」で登場する中山もモデルがあります。
それは、新美南吉記念館が建つすぐ南の広がる「童話の森」だろうとされています。
解説の看板には、実際はお城は町の中にあったとの説が濃厚なんだワンね。
江戸時代までさかのぼると、ここは町の水源として保護されていた保護林だったとのことです。
狐のごんが住んでいた場所
ごんぎつねの主人公の狐の「ごん」が住んでいた山も実際にあります。
それは、新美南吉記念館から北に徒歩18分のところにある「権現山」です。
この山では、昔実際に狐が住んでいた場所であり、ごんのモデルとなる「六蔵狐」も住んでいました。
権現山には行ってきたかワン?
もちろん!
権現山の中腹には、五郷社と呼ばれる神社があり、その周辺にはごんぎつねの石像がたくさんありました。
五郷社へ通じる道の入り口や途中には「ごんげん山のごんぎつね」などの石の標識もありました!
その様子も撮影してきたので、以下のスライドショーで掲載しておきます。
狐の石像がいっぱいだワン!
また、最近では権現山やその周辺で狐の生息が確認されていて、ごんぎつねのモチーフとなった場所としても趣を感じられます。
ぜひ、ごんぎつねのモデルとなった場所にも行って欲しいワン!
行ってみた感想
夢を追う人にとってはパワースポットだった!
今日行ってみた感想はどうだワン?
いや〜、南吉さんの生涯はとても刺激になりました。
南吉さんは、特に才能が元からあって大成した人ではない。
中学生の頃は、至って普通の生徒だったんだなって感じました。
そこから、社会人になってから弟子入りしたりたくさんの作品を作り量をこなしたりと、努力をし続けてきた人なんだなって知りました。
何事も「継続は力なり」という言葉が似合う人だったワンね。
「ごんぎつね」が全国の小学校教科書に掲載など、大きく評価されたのは死後。
芸術家のゴッホなど、死後評価される人も意外に多いんだなとも感じました。
私も自分の人生で実現したいことがあり今もなお追っているのですが、そういう人には「諦めずに努力し続けることが大事」だと力強いメッセージをもらえる場所でした。
自分の力で道を切り開いていく、そして夢や憧れに向かって歩み続ける大切さだワンね。
皆さんもぜひ「すごい人は元からすごいわけではなかった」、
「長年継続した努力と行動力こそが、すごい人を作っていく」という事実をこの新美南吉記念館で感じ取ってほしいです。
何かを頑張っている人は、ぜひ一度訪れてみてほしいワン!
今回訪れた場所の詳細情報
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